G.W.F.Hegel
ヘーゲルを読む会 2002/5/30~

ヘーゲル「世界史の哲学講義1822-23」 その1 2015.2.5

 

<本源的歴史>

 

ヘーゲルは世界史の哲学についての講義を都合5度、ベルリンでおこなったが、今回のテキストは1822年冬学期に講義した第1回目のものである。つまり、初めてヘーゲルが行った歴史哲学講義である。講義は5回のその都度、全体が完結するので、各年度に異なった項目(例えば、異なった時代)を講義するものではない。年度により、全体の構想や個々の表現が変化する。

テキストはホトーノートを基にグリースハイムとケーラーのノートを逐次参照して、ひとつのテキストとして編集されている。近年のノートごとに編集するという方針とは異質のものとなっている。

 哲学的世界史とは何かを説くまえに、ヘーゲルは歴史のふつうの論じ方を簡略に通覧する。論じかたは三つに分かれるという、

①    本源的歴史Die ursprünglche Geschichte

②    反省的歴史Die reflektierende Geschichte

③    哲学的歴史Die philosophische Geschichte

 「本源的歴史にあてはまるのはヘロドトスやツキジデスのような著述家である、かれらは体験した出来事のみを書き留め、目にした行為を描写した。それゆえ、時代精神に帰属し、そこに生き、その時代を描出した著述家である。

 本源とは一次史料ということだろう、一次史料はいろいろ解釈もあるようだが、元本的素材の意味で理解する。本源的歴史著述家は「以前の時代、過ぎ去ったこと、記憶のうちの散在したものをまとめ、記憶の神殿に記録する。」それらはかれらの作品であり、そこに生きた時代を体現するものとして、その時代の証言になっている。ただ、ヘーゲルにおいては、実体は主体なのであり(精神中心視点、キリスト教視点、西欧視点と言い換えても良いが)、その主体への階梯にある意識(例えばツキジデス)の作品が真の歴史の一次史料となるのである。「このような歴史から神話や民謡は除外される、なぜならそれらは出来事を確定しようとする萌したばかりの不明瞭な方法だからだ。それゆえそれらは不明瞭な意識を保持する民族に固有のものであり、かれらがそのような意識を持つかぎり、これら(神話や民謡)は世界史から除外される。」だから、主体への階梯に位置しない意識、アジアの厖大な文書や<文字を残さなかった人びとの歴史を復原する民族学および考古学>のようなものは世界史の本道からは外される。ヘーゲルは史料ということでは、これら作品の文献史学を考えているようだ。現代では、文献以外の遺物、遺跡、絵画、地理的痕跡など、無文字のものであっても史料とみなすのは常識だろう、しかもこれらは客観的な時間指標をもっている。世界史の講義におけるヘーゲルの口吻は大胆だから突っ込みどころはたくさんある。しかし、批判だけからは何も生まれないことを銘記したい。

 歴史はいつから歴史になるのだろうか?歴史とルポルタージュ(記録文学)は何が異なるのか?答えは、そもそも歴史とは何なのかが確定されなければでてこない。ひとついえるのは、歴史とは体制であるということだ、外的意味での体制だけではなく、内的な、精神的意味での体制でもある。例えば、幕藩体制下、維新後、敗戦後のそれぞれの時点で大きな転換点があり、それぞれに歴史は異なった相貌を見せるはずだ。外的指標の客観性はある程度確保できるだろうが、内的見方によってもつ意味は大きく変わってしまう。人間にとって内的(抽象的)遍在は可能であっても、体験的遍在は不可能なのだ。すなわち、ひとは時代の子である。ルポルタージュは本源的歴史といえる。

ドイツ語で歴史を意味する言葉はGeschichteとHistorieで、一方はgeschehen(生起する)、他方は古典ギリシャ語のἱστορία(調査、情報)由来である。「ドイツ語の“歴史”Geschichteにおいては、事績res gestaeとその物語の両義がある。」ペリクレス演説は行為に等しいものであって、「その時代とその時代の目的についての反省を含み、その時代の原則の解明をあたえる。」これはWho:誰(何者)であるのかが現れる、アーレントの「出現の空間」だろう。「ポリスというのは、ある一定の物理的場所を占める都市=国家ではない。むしろ、それは、共に活動し、共に語ることから生まれる人びとの組織である。」(『人間の条件』:27.ギリシャ人の解決)「(本源的)著述家は時代の見方(反省)そのものをあたえるのであって、事柄についての自分の見方(反省)をあたえているのではない。」その演説(発言)が著述家により編集されてものであっても、それはその時代の演説(発言)なのである。このようなタイムカプセル(ヘーゲルの推す著述家)を研究しなければならないとヘーゲルは講義している。

 再度とりあげるなら、「原子的堅固さの洗練された個性に至った民族」、「明確な意識で個性を有する民族」、その自覚された洗練とともに本来の民族の歴史ははじまる。この個性は、ヘーゲルの場合、種族的個性(特質)というより、精神の個性(特質)と理解したほうがよいだろう。アジアもヨーロッパも精神ということでは普遍(共通)なのである。ヘーゲルは、自覚的個性に至っていない神話や詩、無文字の古代や未開を世界史から除外する。ひとにとって、Who:誰(何者)であるのかの証明である、「共に活動し、共に語ることから生まれる人びとの」連鎖を歴史とするなら、神話・遺跡・遺物は、精神の活動を証明するが、歴史については推測させるものでしかないかもしれない。

ヘーゲルが何らかの概念に言及する場合、具体的な人物や事柄を念頭においている、ここ(本源的歴史)において挙げられた事例は、

これらに習熟すれば直接その時代の光景を得る。

ヘロドトス『歴史』

トゥ‐キュディデ‐ス『戦史』

クセノフォン『アナバシス』

カエサル『カエサルのガリア戦争に関する覚書』

ヘーゲルの時代にける本源的歴史著述家(「当然のこととして、出来事をイメージを通して受け取ったり、報告によって理解したりしているとしても」)は

フランス人達の回顧録これらの人々が活動の基盤は、多くの些細なこと、陰謀、情欲、とるに足らない利害を含んでいる。しかし、その例外もある。

レッツ枢機卿『回顧録』「もっと広い領域で活動した大家のひとりで、才気に満ちている。

フリードリッヒ2世『回顧録』ドイツにおけるこのような仕事はあるがまれである、これは例外、大きな政治的影響を持つ、世界的出来事を相手にした精神において成立したもの。」ヘーゲルがどこかで言っていたと思うが、自己意識がある高みに(必ずしも高位ということではない)達しなければ保持しえない見識がある。風巻景次郎は後鳥羽院について書いている。「院が『新古今集』に結集されたような錦繡の表現を、非常に好いておられたということである。ところが、それが非常におおどかで、臣家たちの、克明なうたいぶりのようなのとは違うが、そこに悠々としたひろさが感じられるのである。・・・当時の世の中にあっては、王者でなければ口にもし得ない感慨がうたわれている。・・・

   おく山のおどろの下もふみわけて道ある世ぞと人に知らせむ

   人もをし人もうらめし味けなく世を思ふ故にもの思ふ身は

   吾れこそは新島守よおきの海の荒きなみ風心してふけ

   限りあればさてもたへける身のうさよ民のわら屋にのきを並べて

これは毅い意志のうた声とひびくであろう。縛られたるプロメシウス。その気魄のけ高さが、当時の詞でいうたけ高しを文字通りあらわしている・・・」『中世の文学伝統』

(中澤)

*上記は作成者(中澤)のメモです。読書会の内容をお伝えするものではありません。