ヘーゲルを読む会



ズーアカンプ版20巻巻末の編集者報告でモルデンハウアーとミシェルは以下のように書いている。

かなりがベルリン時代以前に属するヘーゲルの草案や講義草稿はあしざまに保管され、ほんのすこししか出版されなかった。学生と指導者に忠実な従者のヘーゲルとはベルリンでの著名な講義のヘーゲルだった。それで、故人(ヘーゲル)の友人団により出版された著作集(ベルリン版)は「講義録が著作集の半分以上を事実上占めている。だから、この出版物の半分以上は本物のヘーゲルではなく、学生によって伝えられ、多少とも厄介なものにされてしまった先生の発言なのだが、しかし文献学的ためらいにいまだ取りつかれていない故人の友人(と敵)にとっては真のヘーゲルなのである。」「自分の思索の著作による定着と公表にヘーゲルほど無頓着な哲学者はいなかった。ヘーゲルは校正(かつそれ以上のこと)を友人たちに委ねていた。」

「この講義録には非常に異質な諸々の資料が入り込んでいた。様々な学期の様々な筆跡の講義ノートや草稿、またそれとは別の年代からのヘーゲルのメモ、一部は非常に早期の時期のもので、たとえばイエーナ時代の草案が『エンチクロペディー』の口頭補注なっている。仮にそこで読まれる個々の文章は本物であると保証されるかも知れぬときでさえ、文脈は保証されない、むしろもっと悪い、読者にはそれが本物かどうかはわからないのである。他方、『エンチクロペディー』は口頭補注でまったく別の本になってしまったといういまや100年も古くなった非難は、史実的に見れば非常識な印象を与える。『エンチクロペディー』(同じく『法哲学』)は、当時著者よっても学生によっても、それが記憶を補助する原本として役立った講義と離れて、自立した独自な本であるとは見なされていなかった。ヘーゲルは彼の体系を著述したのではなく、講義したのだ。」

「・・・もし<友人団>が出来上がった体系の変わりに、その成立(とりわけイエーナの草稿)に重点を置いていたら、ヘーゲルの影響史は違って見えていただろうか?この問いは無駄である。ヘーゲルの著作集がこの形で提示されたことがすでに、著作集の影響と著作集に帰せられる政治的諸結果の一部なのである。マルクスもまた著作集の読者であった。同じく後にはレーニンが読者だった、あるいはブロッホ、マルクーゼ、アドルノ。しばしば明白な文献学的欠陥に関しては――草稿においてだけでなく、印刷物においてもまた年代の紛糾、文体の研磨、置き換え、隠蔽すらある――このことは好ましからぬ特徴であるかも知れぬ、しかし、このような欠陥がなければヘーゲル理解は、肯定的なものであれ、否定的なものであれ、保守的なものであれ、進歩的なものであれ、ほんの些細であっても異なるだろうと信じるのは、文献学者一流の観念的見方なのである。」

「『技術的なものは必要が存在するとき現れる』とヘーゲルは印刷術の発明に関して語った。彼の著作集の編集に関しては今世紀の三分の二を過ぎるまで、必要は存在したが、明白で、一致したものではなかった。いずれにせよ編集技術はなかった。沢山の個別的出版は現れたが、そのつど他の方針で編集され、全集の計画は再三再四台無しにされ、完全に放棄された。編集技術に<進展>があったことは確実であろう、とりわけ近年(この出版≪ズーアカンプ版≫はその恩恵を受けた)において。けれど、進展がどのような欲求に役立っのかはあいまいである。歴史−批判的全集には、すでにかなりの仕事が含まれているが、今世紀中に完結されないのは確実だろう。全集の今日の基準にとり模範となる(門外漢を畏怖させるとしても)編集方針がさらに最善の形で現れるかは未定である。ヘーゲルの現実的獲得、ヘーゲルとの批判的対決はいずれにしろそんなに忍耐強いものではないだろう。ヘーゲルとの批判的対決が19世紀と20世紀初頭のヘーゲル受容と関連している、たとえ、批判がその際ひっぱり出さねばならないテキストが増大した要求に常には十分でなかったとしても。この出版(ズーアカンプ版)はこの脈絡の中にある。」

「・・・この出版(ズーアカンプ版)は決然として最初の(そしてこれまでの所唯一の完結した)ヘーゲルの出版(ベルリン版)に基づいている。マルクスによって<足で立たされた>弁証論者だけでなく、他の多くの人により台座のうえに据えられた<国家哲学者>ヘーゲルをも含むヘーゲル理解の伝統にこの出版は位置している。」

  死後すぐから出版がはじめられたベルリン版著作集(1832−45)は、ボランド版(1899−1908)、年代順に並べ替えた写真再版のグロックナー版(1927−40)、遺稿から初期著作を加えたズーアカンプ版(1969−)と踏襲された。今世紀に入りラッソン、引き継いでホフマイスターにより著作、講義録の再編集、遺稿の出版がおこなわれたが、編集方針の混乱等により全集出版は放棄された。1968年よりテキスト編集上の問題を解決すべくフェリックス・マイナー社<Felix Meiner Verlag>より全集および講義録・草稿選集が出版されている。全集、講義録選集のテキストは同出版社のPHB(哲学文庫)でも出版されている。その他『法哲学』等の講義録の他講義ノートによる個別出版も行われている。

  講壇哲学がドイツ観念論の蔑称だった。現実に疎いところで何の根拠もない空論を述べ立てているというイメージだ。ヘーゲルはただし、この述べ立てることに苦心した哲学者であって、哲学対話とでも言うべき講義がヘーゲル哲学の精華なのである。話をすること、それが型にはまった発言でなくそのつど反省と思考をともなうとき、体系であっても、完璧な整合性とはいかない。未決や堂堂巡りを残すことになる。それぞれ異なった場でのこの同じ主題の反復は、それぞれ微妙な苦心の結果なのである。生きているとは、つねに前とは微妙に異なることだからである。その生きた思考が聞くもの、読むものの思考を惹起する。またヘーゲルは現実に疎い学者のイメージとは違い、世界の情況や政治と緊張関係にあったことは近年周知の事実である。

  これまでの講義録はごたまぜであり、また編集者により隠蔽、言い換えの操作がされているといわれている。ヘーゲルの自由主義的傾向がかくされていると。今度の全集、講義録集はそれを是正する出版である。しかし、わたしたちはズーアカンプ版『哲学史講義』を読みながら、ヘーゲルの主体的、自由主義的傾向を確実に感じていた。ヘーゲルはこれまで弁証法論者、国家哲学者、体系思想家と見られていたわけだが、リベラルなヘーゲルはテキストの新編集により発見されたわけではないと思う。ヘーゲルが当然もっていたものを、読み返し見出しただけなのである。それには東西イデオロギー対立の消滅をはじめとする歴史の推移も大いに関係しているであろう。テキストの新編集だけで真のヘーゲルが獲得されるわけではない。より真正な資料に基づく学術的研究は待たれるところであるが、いま言われている方向では、既に言われたこと以上の生産的なことはないであろう。ドイツでは文献学的には進捗しても、全体主義に関わって哲学が衰退した。哲学にとり重要なのはヘーゲルの語ったことを筆記した文章から何を考えるかなのだ。

(中澤)