ヘーゲルを読む会


概念 Begriff

動詞begreifen(理解する、含む)は動詞greifen(つかむ)から派生。begreifenの過去分詞begriffenの述語的用法 in etwas(dativ) begriffen seinは〜に従事している、〜に含まれているの意味である。uebergreifenは飛び移る、広がる、波及する、干渉するの意。

カントの概念は一般表象、いくつかの対象の共通表象であるが、ヘーゲルにとり概念は次のような特徴をもつ。

1)概念は「私」と明確に区別出来ない。

   概念は思考において理解のために用いられる手段ではあるとするのは食べ物をかんだり、飲んだりするのが食べることの単なる手段であるとするのとおなじである。概念なしには私や理解は存在しないし、概念なしに私は感覚与件から概念や概念作用をとりだせない。

2)概念は対象から明白に判別されない。

  (a)一般概念は単なる性質ではなく、対象を構成する。まったく白紙の対象は存在しない。

  (b)概念と外的対象の対比はそれ自体概念的構造をもつ。概念が概念の概念と対象の概念へ分岐するのである。概念はそれ自身と異なるものへ波及する。

  (c)「私」は無概念で対象に向かうのではない。直観も知覚も深く概念に満ちている。

  (d)精神、生命、社会などは内在する概念の力で自己展開してゆく統一体であり、外からの影響だけを蒙るのではない。

 概念は因果作用や相互作用の外的必然性ではなく、自由に一致するものである。

 概念は規範的理念であって、こどもとか種子は人間や植物の概念を実現しようとしているim Begriffe seinものである。

3)概念は根本では弁証法的にからみあった体系をなす。繋がりのない抽象的分析では概念を取り出すことは出来ない。根本にはただひとつの概念(論理学)があり、世界と私の本質を形成している。

 ヘーゲルの概念は、その哲学が宗教の合理化を目指したものであった一方、以下のキリスト教神学に核心を負っている。

 神は自己自身以外のいかなるものにも基づかず世界を創造した。

 神は他なるもの(子)となる受肉をとうして創造の意味を示した。

「・・・われわれは言う、神は世界を無からつくり出した、あるいは違った表現をすれば、世界と有限の事物は神の思考と神意が満ちて現れた、と。これにより認識されるのは、思考、もっと正確には概念が無限の形式もしくは自由で創造的な活動であり、実現するためにその外部にある材料を必要としないということである。」小論理学§163補足

 ヘーゲルの『論理学』が根本において、経験の内容を形成し、説明する論理であるのか、神学であるのかは論争の余地を残す。

Cf. <A Hegel Dictionary> Michael Inwood ,BLACKWELL

    <Le vocabulaire de Hegel> Bernard Bourgeois,ellipses

 (中澤)