「論語」の読書感想会

中 澤:孔子は礼を葬式の儀礼のような世の中のしきたりとしてではなく、ひととひとの関係としてのこころのもちようと読み替えたから後世に残った。

池 内:まことを尽くすということ。ただ、保守主義であって、革新的とは思えない。よらしむべし、しらしむべからず、は民衆操作だし、民を信用していない。

中 澤:王は王たり、臣は臣たり、はだめ。

大 澤:身分制の肯定か。

中 澤:世の中における自分の本分を尽くすことだと思う。儒教が後世残ったのはこの普遍性があったから。

鈴 木:長幼の序などの教えを後の時代において支配者は利用した。

中 澤:孔子が範としたものが古の王の善政であるのは、歴史的制約だし、古代中国の社会的制約。ひとつ言えるのは漢字の意味のふくらみ。弟子に仁とは何かを問われて、一般的定義を与えるのではなく、相手に応じてことなった事例をあげている。これはある意味現代的、また東洋の融通。

長谷川:友人の話では、漢文は蓄積の勝負。漢文学の膨大な知識をもとに、ひとつの漢詩のもととなる文書を言い当てられるかどうか、という問題。漢文の世界は門外漢が入りづらいものになっている。科挙では四書五経は全部暗記。

鈴 木:それは文化において、中国が東アジアで一度も席をゆずらなかったから。

中 澤:聖書とちがい、「論語」は発言の断片を寄せ集めたものだから、どの場面でいわれたのか、孔子伝などをもとに知らないと面白味はない。

長谷川:漢文学者などの中国かぶれのひとたちは、セクト的、イデオローギー的に自分たちの世界のなかで発言していて、漢文のよさを語っていないし、漢文をひろめる努力をしていない。

大 澤:漢文は日本語の幅をひろめている。

鈴 木:今の子供たちに漢文の興味をもたせる必然性があるかどうか。学校教育では漢文は廃止の方向、今後すたれるのでは。

池 内:中国は文化で、外から影響をうけていない。だから中華思想で、思想の発展や論議のない国。古文書の註解だけで、その四千年の経験が重要視されるような国。

長谷川:吉川幸次郎、貝塚茂樹などの漢文学者は中国を尊敬し、研究したのだろうが、「論語」なら「論語」をどうゆう風に読むかその方針が見えない。吉川幸次郎は戦後の出版で孔子を民主主義にそった解釈を与えているが、それはよいのだろうか。

鈴 木:民主的に読んでいるけど、いいわけ風。

大 澤:「論語」は生理的にあわない。「職場の処世術」といった本に引用される人間関係の処世訓に過ぎない。礼がどうのこうのとおしつけがましい。祭礼式、葬式などは会社の総務が扱うもので、思想ではない。ただ、知的好奇心の対象にはなる。

中 澤:儒教的な考え方は大なり小なり、どんな社会にもある。

鈴 木:中国、とくに韓国にはまだ儒教的考えは生きていて、身についている。日本人は基本的に儒教的生活習慣はなく、身についているとはいえない。

池 内:三国志はアニメやドラマで人気になっている。

長谷川:その三国志のほうが大学の先生より漢文の普及に役立っている。

鈴 木:うちの子供なんか三国志のビデオを見ていて、去年北京にいったとき、頤和園にあった三国志の壁画をこれだ、あれだと言い当てて、中国人が驚いていた。日本のアニメは中国でも放送されていた。

中 澤:これからのひとは漢文としてではなく、中国語の古文、古詩として読むこともあるのでは。

(中澤)