小宮義夫氏講義「里見氏の終焉について」に関して

 2004年夏の「ヘーゲルを読む会」合宿において、宿舎(豊田屋)の近くにお住まいの小宮義夫さんに、房総の歴史、とくに里見氏についてのお話をご自宅で拝聴する機会がありました。里見氏は江戸湾入り口に居城をもつ12万石の大名でありました。その国主忠義は、表向きは大久保忠隣事件連座のためでしたが、実際は江戸城にとっての脅威であるゆえに、慶長19年(1614)幕府により伯耆国倉吉に改易されました。その地で2度にわたり屋敷を移された後、元和8年(1622)29歳で病にて没し里見氏は断絶しました。

  小宮さんは「房総里見誌」にあった高野山妙音院に供養墓を建立云々の一文を参考にして、高野山へ調査に赴かれました。その際奥の院参道御廟橋手前を左に折れたところで倒壊した三基の五輪塔を発見し、碑文から忠義、東丸(忠義室)、息女の五輪塔であることを確認されました。そして館山市の有志と五輪塔のある墓地を管理する明王院(妙音院は焼失したとのことです)との協力で五輪塔を積み直し復元されました。杉の根で倒壊したこの塔は高さ3メートルに及ぶもので、忠義と息女については東丸が承応3年(1654)58歳の時に建立し、其の翌年東丸は没しています。東丸塔については、東丸が身をよせていた弟の肥前国唐津城主大久保忠職により万冶4年(1661)、忠職58歳の時に建立されたものです。

 また小宮さんは鳥取県東伯郡北条町北尾にある北条八幡宮で元和2年(1616)里見忠義が神社を修造し掲げた棟札を調査ました。棟札には忠義の無念の意が記されています。忠義は倉吉でだんだんと山奥の方へ居を移され、現地山郷神社の小高い山の上の田んぼに最後の屋敷があったそうです。そのそばの大きな椎の木の下に小さな祠と六つの五輪塔がならんでいて、忠義に殉死した家臣を祀っています。殉死した家臣の数は6人、7人、8人説とあるそうです。この椎は西日をさえぎる状態であるので、小宮さんがなぜ伐採しないのかと当地の人に聞いたところ、かって木を切り一人死んだそうで、それ以来誰も木を切ろうとはしないとのことだそうです。地域には忠義と家臣の霊を祀る位牌や五輪塔が他にもあり、忠義は安房守(あわのかみ)として信仰されているという事です。信仰の理由を小宮さんが伺ったところ祟りがあるとのことです。

 忠義には男子がなくお家断絶とのお墨付きが幕府より出されましたが、実際には側室に複数の男子があり、うち一人の子孫は福井鯖江藩の家老となりました。この家系の里見義豪は初代と4代目で祖父である義孝の墓石を里見家の菩提寺千葉県安房郡三芳村延命寺に建てました。その墓石が最近地中から掘り出され墓石の刻字から確認されたそうです。墓石に遺髪を埋めたとかいてあり、地中より遺髪と掘ってある石もでてきたということです。他にも興味あるお話を様々うかがいましたが以上簡単にまとめてみました。

(里見忠義棟札)

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 里見八犬伝が生まれた背景には里見氏のこの悲劇性と庶民の反権力感情が感じられます。過去の事実は土にうもれてもその記憶は変遷し物語になりました。さらに最近真相をもとめた別の八犬伝(「真相里見八犬伝 上・下」典厩(てんきゅう)五郎著 新人物往来社)をもうみだしているようです。

 東丸の話、里見義豪の話では家、家系というものの重さを考えさせられます。忠義にしろ、祖先の痕跡を訪ね歩いた義孝、義豪にしろ個人であることより家そのものがその人格を占めていたのでしょう。家の重みはなにも大名のような特権階級だけでなく、庶民のあばら家の家にもあったのでありますが、今やその記憶は消滅しようとしています。家系と乖離した核家族にあっても冠婚葬祭では家がつい最近までまがりなりにも現出していました。しかし、報道によれば仲人をたてる結婚はごくごく少数だそうです。結納もしかりでしょうし、嫁にやるとか嫁にもらうとかいう発言が人格を侮蔑した言い方とされることにもなるでしょう。家族は共同体として個人のよすがとなってきた一方、家父長的家は封建的桎梏となり、近代が闘ってきた対象です。いま家は男女の愛情とその所産(子ども)に収斂しています。これは他面家系という通時的つながりの喪失になりました。(参照:<現在の人間は未来の人間に対する義務があるか>「現代倫理学入門」加藤尚文)しかし、家系は貴賎差別の源です。ひとが男としてうまれたか、女としてうまれたか、どの民族としてうまれたか、貴族の家にうまれたかというのは生の根源的偶然性(参照:<U.第3章生命の保障をめぐる公共性>「公共性」齋藤純一)です。このことは輪廻転生を信じるひとがいたとして、そのひと以外の誰もが認めることです。なぜなら、性差のほとんどの特徴が社会的産物である一方、性同一性障害のひとは存在しますし、また、混血児はいったいどちらの民族なのでしょう。さらに、身分とか家柄は現代ではまったく擬制化しています。残るのは自分というものだけです、これら<自分>たちが共同体をなしているということです。極端に言えば、外的に日本人の体つきであっても、わたしはたまたま日本人の男であるに過ぎないのです。だから、自分の民族の主張しかしないひと、自分のことを人並みの勤め人だと、あるいは女だからだと納得しているひと、自分のことしか頭にないひと等々はこの根源的偶然性を自覚していません。この根源的偶然性を自覚するとは祖先の恩に報いる束縛の時間意識ではなく、普遍的な歴史意識を獲得することでもあります。なぜなら、世界に生を享けるとはひととひととの連綿とした行動のつらなりに飛び込むことであり、<わたし>もそこで形成されるものだからです。それは共時的かつ通時的普遍の倫理性の自覚です。

 記憶・直観・期待(アウグスチヌス)・知られるー物語・認識ー具現・予感ー予言(シェリング)・記憶・行動・約束(レヴィナス)思想家たちは時間の三つの区分をこう呼んでいます。里見氏のお話を聞いて過去という区分にどうしても思いがいってしまいました。これは墳墓のお話が多かったためだと思います。草むす夢のあと、無常は日本的テーマです。消滅・崩壊腐敗・痕跡・記録・記憶・物語、この死とその追憶の系列、里見の史実による主従の行動はこの系列をこえて期待とか、約束には達していないように思えます。

(中澤)

*小宮さんは2004年12月17日に急逝されました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。